ぺんたの 東京雑感

23区郊外に住むぺんたより 新しい時代に寄せて

そこが工夫のしどころや 今は我慢の時じゃないか

もう どうして

この国の偉い人達と 言葉や電波のお仕事をする人たちは

こうセンスがないのかね 想像力も足りない

 

国会で 批判したり紛糾したりする暇とエネルギーを

一つでも問題解決のための工夫に使おうよ

 

今 批判や不平不満、意見 いろいろ出るのは当たり前

 

でも、今、言っている人達は

もし この 休校措置 をとらなかったとしたら

 

なぜ あの時 国は何もしてくれなかった、

休校にしてくれたらよかったのに、

一校や地方教育委員会の判断には責任が重すぎた

国が 鶴の一声を掛けてくれさえすればよかったのに

と 言うかもしれないよ

 

課題問題は洗い出して

解決に向かうことは必要だ

でも 批判紛糾に終わってどうするの

 

国が示したなら 皆で協力しようよ

なぜ わざわざ 反対意見の専門家を並べて 

公共の電波で流すのか?

本当にセンスがない

 

昔子どもの頃 学級委員選挙に負けたら

潔く、選ばれた 学級委員に協力します って

かっこいいセリフ 言ったりしませんでしたか?

先生はそういうふうに 仕向けたりしませんでしたか?

 

自治体の長、教育員会、各施設、学校…

前日までに 策を練りつくして対応に臨もうとした矢先の

休校発表で 憤るのも無理はないと思う

 

私も昔、教育公務員だったから、想像はつく

 

でも 私なら なぜもっと早く行ってくれなかったのか、と憤る

これを 後ろ倒しにすることはできない

 

そして、すぐにできることを探す

ここが工夫のしどころや

どうしようと思ったら どうにかするしかないじゃないか

一刻も早く

 

私は 本当に無責任発言だけど

渦中の人は なかなか文章書くこともできないだろうから

こういうのも ありかなと思って書いている

 

子ども達ともっと一緒に過ごせると思っていた 

と涙していた先生が

テレビに出ていた

わかるよ 私もわかる 私でもきっと泣くよ

 

でも これが 爆撃だったらどう?

隣町まで 敵軍が侵攻してきていたら どうなの?

 

こらえきれない涙流したら すぐに涙拭いて

子ども達を勇気づけるしかないよね

 

今は そういう時なんだと 有事なんだと

 

だから 何もかも できません、中止です って

テレビで 悲壮感をもって伝えるのじゃなくて

国への怒りを面に立てるのではなくて

 

皆が 我慢して 工夫して 力合わせて乗り切ろうって、、、

そういうふうに 何かの長は 発信してほしい

テレビ番組も 作ってほしい

 

これは 言論の自由の弊害でしょうか?

それとも 民度が低いのでしょうか 自分も含めて

 

共働き ひとり親家庭、小学生低学年までのおうち

どんなに大変だろうと 私も想像する

 

でも ひとたび、我が子の学校に

陽性の人が確認されました となったとき

 

そのとき と 今 と どっちが本当に大変でしょうか?

そして そのひとりは 我が子かもしれない 自分かもしれないのです

そして そのことは のちのちにも 語り継がれてしまうのです 多分

あの人が一番だったんだよね って

それでいいの? 本当に?

 

私は それは回避したい

自分や家族がなるのも もちろんだし

知らない誰かが そのひとりにさせられてしまうのも

回避したい